闘い

~ 最新の出撃情報も! ~


●ファイターとしてのプロフィール


身長175cm   体重90kg   胸囲118cm

デビュー戦 2010年5月8日 新宿FACE ケルビンザビッグヒット戦

得意技 フライングニールキック、サイドスープレックス、各種関節技

所属 BRAVE三郷

●次回出撃情報

決まり次第アップいたします。

観戦ご希望の方は私までご連絡ください。

応援よろしくお願いいたします。

メール kaitaku8341@ybb.ne.jp

甲斐拓也ブログ https://ameblo.jp/fightingaid/

● ワクチンファイト とは


プロレス・総合格闘技の大会を開催し、その収益の全額をポリオワクチンとして途上国の子どもたちに送る活動です。


また、ワクチンファイト大会の開催以外でも東京愚連隊様にワクチンファイト提供試合として試合を組んでいただき私個人のファイトマネーを全額ポリオワクチンとして送っています。



ワクチンだけでなく、携わってくださっている皆さんの熱い思いも全部一緒に、ワクチンを待つ子どもたちに届けたいと思っています!

応援よろしくお願いいたします!


活動していていつもうれしく思うことは、こうした活動を知ってくれた方々が、自分にもなにか身の回りでできることはないか?と立ち上がってくださること。


人から人へうつるものは悪いウィルスだけじゃない!

そうした思いも人から人へとうつっていくんです!!

闘いの絵巻 第一章 ~どうして闘いの道へ?~

・もっと大きなムーブメントを起こしたい。

インプラントのオペをするごとに100本のポリオワクチンを寄付する活動を2004年から継続してきたが、さらに自分の好きな別の分野でも大きな寄付がしたく、2010年、プロレスと総合格闘技の大会を開催し収益の全額をポリオワクチンに寄付する大会をプロデュースすることに。

・自らも出場したい!


主催者として大会を企画中、プロデュースだけでは物足りず自身もどうしても出場したくなった。一回だけでいいので出場したい。年齢は43に差しかかっていたが、逆に43でこれだけやれるということを世の中に見せたい、同世代にも元気を与えたい。そしてどうせやるならとびきり強い相手と激闘をしたい。そうした思いが高まり、対戦相手を自分で探し、出場することを決意。


アメリカ人の友人に事情を話すと、それならすごく強くて有名な選手がサイパンにいるよと、一枚の写真が送られてきた。

その写真は、獣のような男。187cm 115kg 。元UFC王者リコロドリゲスとも金網で激闘しているという。

一瞬凍り付いた、が、勝ち目がないとかそんなことはもう一切頭から飛んでいた。

この選手とリングで闘いたい!


夢とロマンが恐怖感というものを瞬時に打ち消した。果たし状を握りしめサイパンへと渡った。


・対戦相手に会うため海を渡る


考えが甘かった。

それだけ有名な選手なら、ホテルやレストランでその写真を見せて聞けば、ああその人だったらあそこの道場に行けばいるよと、すぐに会えると思っていたのだ。


一日中サイパンの町をさまよい、太陽が傾き始めたころ、ある人から、毎週日曜日にその選手はマニャガハ島に遊びに来てるよ、今日は日曜日だから行ってごらん、という貴重な情報を得て、急いでマニャガハ島へ渡ることに。


スピードボートで20分。マニャガハ島はダイビング100選の第1位に選ばれるくらい美しい島だった。しかしそこに探している相手はいなかった。時刻は午後4時を回った。早朝からかなりの距離を歩き回り、脚は棒。海を越え、こんなところまではるばる来たのに、ダメだったか、やはり夢とロマンだけでは物事とは動かないものなのか、情熱だけでは扉は開かないものなのか、船着き場に疲れ果ててしゃがみこみながらそんなことがあたまをよぎった瞬間、

「He is coming!!」

誰かが声をあげた。海を見ると、モーターボートに立ち乗りしてこちらに近づく大きな影が。


ケルビン・ザビッグヒットだ!!


・俺と闘え

自分は武士道の精神で果たし状を書いてきた。

それを相手に突き付けた。

中身は一言、「俺と闘え」

日本語はおそらく読めなかっただろう、しかし相手は百戦錬磨、シチュエーションですべてを察し、「なんだお前、今すぐここでやってやるよ!」と瞬時に戦闘モードへと移行。


はたから見たら、生命のエマージェンシーランプが派手に点滅していた状況だったと思うが、こちらもリミッターはとっくに外れている。売り言葉に買い言葉、「今すぐここでやったっていい、しかしその闘いは何の意味も持たない、俺は収益の全額を子どもたちにワクチンとして寄付する大会を開催したくてここまで挑戦状を持ってきたんだ、目的のある闘いをしたいんだ!」と。


その瞬間、獣の顔が緩んだ。なんだ、俺と同じことをしてるじゃないか、と。

ケルビンも児童養護施設で育ち、そこの子どもたちにファイトマネーで寄付を続けてきていたのだ。

そういう趣旨だったら日本に行ってやるよ。


こうして甲斐拓也VSケルビンザビッグヒットの夢の対戦が決まった。


相手はUFCのリコロドリゲス友対戦経験のある猛者。
果たして試合として成立するのであろうか?
それ以前に本当に日本に来るのだろうか?


強烈な不安に襲われる毎日。


そしてついに闘い前夜、関係者からケルビンが成田入りしたと連絡が届く。その連絡とともに緊張はピークに。

もうここまできたら吹っ切れるしかない。

もうここまできたら踊るしかない!?

元TRFのSAMさんのもとにヒップホップを習いに行っていた自分は、入場時にヒップホップで登場。


そしてリングへ。。。

リングの上で猛獣と化したケルビンザビッグヒットの攻撃は圧巻!

捨て身で立ち向かっていった自分であったが、2R途中、あえなく沈む。。。






・猛攻に沈むもこの一件から多くのものを学ぶ


試合には敗れはしたが、ワクチンを待つ途上国の子どもたちに無事ポリオワクチンを送ることができ、目的は達成。





試合翌日、試合を終えノーサードのケルビンザビッグヒットと食事へ。



そこで彼の祖父が日本人で彼にも日本人の血が流れていた事、そして彼自身もサイパンで子供たちの施設への寄付活動を何年も続けてきているサイパンの英雄だという話を聞く。


彼を超えるには試合での勝ち負けうんうんだけではなくそうした人間としての偉大さを超えないと超えたことにはならないんだということに気付く。



リング上でケルビンを倒し、人間としてもケルビンの偉大さを超えていきたい。
そんな思いが日に日に高まっていった。






闘いの絵巻 第二章 ~リベンジ魂~

そうした“人間としての成長”を果たせるようワクチン寄付活動への思いにも熱が入る。


そしてリベンジに向けて準備を。

総合格闘技の技術を高めるべく、BRAVEジム入団。連日宮田和幸代表の指導を受ける。

・2度目のチャリティー大会開催へ


最初のチャリティー大会『ファイティングエイド』から2年後の2012年、機運が高まり自身2度目のチャリティー大会である『ワクチンファイト』の主催を決意。



前回大会で対戦したケルビンザビッグヒットにリベンジ戦を直訴に、再びサイパンへ乗り込む。

(この時期、一日のブログの閲覧数が毎日数万アクセスになりました)

・挑戦というものの重要性

今の世の中、無理はするな、背伸びはするなと、順風満帆な生き方が良しとされる風潮があるが、

人間、挑戦するからこそ心身ともに強くなるのではないか?

目標達成に向けて努力や苦労をするからこそ人間としての成長が得られるのではないか?


そうした思いが、いつも自分の根底にあり、非常に大切なことだ思っています。




こうした教えも、いつも自分の背中を押します。





・“爆撃機”スウェインキャンコ


サイパンでケルビンザビッグヒットと再会。

リベンジ戦を直訴する自分に突然の査定試合を組んできたケルビン。


BRAVEでの日々の練習で腕をあげていた自分はケルビンの猛攻に押されながらも挑戦権をゲット。

ケルビンのブッキングに成功した。




しかし喜びもつかの間、大会直前にケルビンの育てのお母さんの危篤でまさかの来日不能。



一番弟子の“爆撃機”スウェインキャンコ選手が急遽代役を務めることに。


想像もしていなかったケルビンの来日不能という直前のトラブルに大変動揺したが、これですべてが終わるわけではないと気持ちを切り替える。



“爆撃機”という以外何の情報もない得体のしれぬ対戦相手を迎え撃つにはこの人に組んでいただくしかない!

公私ともに尊敬していた『パンクラスの佐藤光留選手』にタッグ結成を依頼。

タッグマッチで、一気に猛攻を仕掛けていった自分であったが、勝利をつかむことにはならず。

・またもや敗れはしたが、、、


敗れはしたが、今回もワクチン寄付という目的も達成、大会を通じて学べたことは前回に劣らず大変多かった。


負けることは悔しいことだが、人間悔しい思いをすること大変な思いをすること大きな苦労をすることは次への大きなエネルギーとなる。

人間としての大きな成長ももたらす。

そういう意味でも今回も貴重な人生経験となった。

また、急な代役に男気を見せて海を渡ってくれたスウェインキャンコ選手とは熱い絆ができた。

そして驚いたことに、キャンコがケルビンの代役で日本に向かい自分と闘うというこの一連の話が、なんと当日のサイパンの新聞にまで掲載されるというワールドワイドな話に。

自分も、まさか海外の新聞にTakuyaという名前が躍るとは想像もしていませんでした(笑)。




その後、キャンコ選手は突如格闘家を引退しサイパン警察の警察官に。


もしかしたらその時の新聞の影響もあって、そうした方面から声がかかったのかな?と思うときもあります。

もしそうだとしたら、素晴らしい事だと思っています。




ケルビンザビッグヒットとの闘いもこのままで終わらせるわけにはいかない。

これをするまでは引退できない、という項目の一つに入っています。





そして最後は、ロッキーとアポロのような関係になれたらいいなと思っています。

あっ、自分がロッキーね(笑)。もちろん。








闘いの絵巻 第三章 ~実戦を積む~

・新たな闘いの場も提供いただく  ~「夢は実現させるものなんです」~


チャリティー大会を行うたびに、いつも多くのことを学ばせていただきやりがいを感じている。

何かの終わりは何かの始まり。

大仕事を終えるたびに逆にこれじゃあまだまだ終われないという気持ちが高まりまた次の闘いへと目を向ける。


しかしチャリティー大会の開催が頻繁にはおこなえないため、試合間がどうしてもあいてしまう。

その葛藤から東京愚連隊のプロレスラーのNOSAWA論外さんに相談に。

途上国の子どもたちにワクチンを送るワクチン寄付活動という主旨で共感してくださり東京愚連隊興業にワクチンファイト提供試合として試合を組んでいただけることになった。


「夢は実現させるものなんです」という檄をいただき、モチベーションが限りなく高まりそれ以降の頑張りに拍車がかかった。NOSAWA論外選手には本当に感謝しています。


・第二の故郷福岡で

2014年には第三回目のチャリティー大会を、20代の大半を過ごした第二の故郷福岡で開催が実現。

多くの人たちのご協力とお力添え、そして大学時代の仲間も大勢駆け付けてくれ、私自身も元気と勇気をたくさんもらいました。

闘いの絵巻 第四章 ~ 今後の計画 ~

◎いつか学校ファイト開催へ◎


このまま死ぬまでワクチン寄付はできない、死んだ後ももちろんワクチン寄付はできない。

どうしたら良いかを考えた末に思い付いたのが「学校ファイト」。


収益の全額でミャンマーに学校をプレゼントし、ワクチン開発をできるシステムを作るようにする。

ワクチンを開発できる化学とか薬学系の大学をプレゼントできれば最高だが、その分野に興味を持ってもらうための高校か中学でも、もしくはそのいろはのいである小学校であっても少なからずプラスになってもらえるのではと考えている。

いつか必ず開催したい。


◎私設レスキュー隊設立◎


そしてワクチン寄付活動以外にしたいことは、私設のレスキュー隊を作りたい。


そのきっかけは、2019年の水害時、人の手が一本あったら何とかなったのでは?という非常に残念な話を耳にしたため。(下段の当時の新聞記事抜粋 参照)

こんなことが現実に起きていいのか!? とてもいたたまれなくなった。その絶望感の中、ふと頭に降りてきたのがこの計画。


大空を飛んでいた祖父の遺伝子が、空を行けと自分の身体を導いているのか? 

しかし救助に使えるようなヘリコプターは1億円以上するという。ライセンスや訓練も必要。そうした難題は山積みだが、こうしたことは理屈ではなく感性で動くこと。


なんとかしてライセンスもヘリコプターも入手して、レスキュー隊を設立して災害時の救助活動をする計画を実現させたい。  いや、絶対実現させる!

[当時の新聞記事 抜粋]

台風19号による浸水で7人が亡くなった福島県いわき市。水が自宅に押し寄せて溺死した関根治さん(86)は、妻百合子さん(86)の目の前で泥水に沈んでいった。百合子さんも首の高さまで水につかったといい、「現実とは思えない」と、突然訪れた恐怖と悲しみに言葉を失った。 

 関根さん夫妻は、決壊した夏井川から約300メートルの距離にある平屋建て住宅で2人暮らしをしていた。12日夜は寝室で布団を並べて寝たが、13日未明に百合子さんがトイレに行くために起きると、布団の下がぐっしょりとぬれているのに気が付いた。浸水が始まっていた。

 治さんは約5年前から腰の病気で足が不自由になり、この1年は何かにつかまって立つのがやっと。治さんは窓際まで移動し、窓から外に叫んで近所に助けを求めた。百合子さんが自分の部屋で、貴重品を部屋の高い所に移していると、水位は一気に上昇した。

 「体冷えるから、早くこっちに来て」。百合子さんは自分の部屋のベッドに上り、治さんを呼んだ。「しっかりして!」。手を握り、ベッドに上げようとしたが、水につかった治さんは体に力が入らない。「長いこと世話になったな」。ぐったりしたまま、治さんはこう言い残して泥水に沈んでいった。

 水はさらに、ベッドの上に立ったままの百合子さんの首まで迫った。だが、そこから水位は下がり、やがてボートで救助された。

◎3.11東日本大震災時の支援活動からも学ぶ◎


こうした国家的な一大事に出動し、その場を直接目の当たりにすることで、いつも、人の命の大切さや尊さをあらためて考えさせられています。


そうした自然災害はまたいつどこに起きるかわからない。

でもこれからどんなことが起きても、屈せず、また立ち向かっていきたいと思います。



 闘いの絵巻 第五章 ~今闘えていることの喜び~

人間は生きていく中でいろいろな人との出会いがあり、それによって人生は善きに悪しきに変わっていくものだと思う。


いわゆる“人脈”というものは人生を豊かにしてくれるものだと思うが、知り合いがたくさんいるのが良しという意味ではなく、自分に良い影響を与えてくれる人物、自分の道しるべになり導いてくれる人物、といったいわゆる自分の人生を良い意味で大きく左右しうる人物の存在というものは大変重要だと思う。


人生を良い方向に導いてくれる先生的な存在をメンターというそうだ。自分にとってのメンターは、今所属しているBRAVEで指導をしてくださっている宮田和幸先生だ。宮田先生とお会いしていなければ、今オリンピック選手たちの治療もおこなっていないし、もちろん試合にもでていない、いろいろな方々との出会いもなかった。


仕事も試合もすべて“闘い”。

今人生の中でそうした闘いが出来ていることを心から感謝しています。。。